広島県北部に位置し、中国⼭地にある⾃治体。北は島根県と境界を接しており、東⻄に中国⾃動⾞道が通る。広島市からは中国道を使えば⾞で1時間ほど。⽑利元就の居城・郡⼭城があり、伝統⽂化の神楽が有名。⼦どもたちは神楽とともに育ち、地元の神楽団に⼊る⼦どもも多い。Jリーグのサッカーチーム「サンフレッチェ広島」の練習場があり、普段からサンフレッチェ広島の選⼿たちが市内吉⽥町の練習場まで通っていて、ファンが練習の様⼦を⾒に本市まで訪れる。主な産業は農業。のどかな⽥畑が広がる、ゆったりとした町だが、多くの⾃治体と同様に少⼦⾼齢化が課題。
五十音順・敬称略
“中央政界を揺るがせた汚職事件が地方に波及、ここ安芸高田市では、混乱の末、元銀行員の男が新たな市長の座につく。しかしそれは、新たな混沌の始まりに過ぎなかった...”
芥川隆行の名調子が聞こえてきそうなオープニングから面白い!(本作にはナレーションはありません、念の為)撮影した素材をそのまま見せられているような生々しい画面の連続(おそらく、あえて整理していない)を、脳内ナレーションで補いながら観るべし!
――粂田 剛
(ドキュメンタリー映像作家『なれのはて』『ベイウォーク』)
町の未来のために市政に変化を起こそうと奮闘する市長」VS「逃げ切り世代議員の思考停止」。安芸高田市で起きていることは、まさに「失われた30年」から脱出できない日本の縮図だ。フィクションよりおもしろいこの政治ドキュメンタリーが突きつけるのは、安芸高田の市民だけではなく、日本に生きるすべての国民の決断と覚悟である。
――長野 智子
(キャスター・ジャーナリスト)
小さな地方都市のトンデモ物語…では済まされない。
今の安芸高田市ほど地方議会が注目される機会は珍しいように感じます。
逆に、「自分のまちの政治はどうなっているのか」に目を向けるこれ以上のきっかけはないのではないでしょうか。
考える材料をお探しの方、この作品にいくらでもあります。
――春香クリスティーン
(タレント)
「自分の意見を表明するのが、議員さんの仕事ではないのですか…?」
カメラを構えた監督は震える声で、居並ぶ議員たちに問いかけた。
その声音に、彼らを糾弾しようという傲慢さはない。論破してやろうという醜さもない。
あるのは、目の前の現実と慎重に対峙しようとする意志だ。
それは映画全編を通して貫かれる。
権力を手にした市長の変貌、議員たちの滑稽さと戸惑い、市民の失望と期待。
「地方政治」を様々な視点から描き、単純化を拒むこの映画に胸が熱くなった。
――日向 史有
(映画『東京クルド』『アイアム・ア・コメディアン』監督)
市長と議会。
住民のために自治を担い、お互いがチェックし合う。
そんな関係のはずなのに、なれ合って役割を果たしていないのではないか。 掟破りの市長が誕生し、そこに一石を投じた。
この市長は非常識な政治家なのか、堕落した議会の暗部をさらす住民の味方なのか。
議員質問の形骸化、もたれ合い、根回しだけでよしとする市議たち。その実態を克明に描き出している。
――松原 文枝
(映画『ハマのドン』監督)
地方発のテレビ・ドキュメンタリーが面白い。しかも本作品のように、正面から政治や法制度を扱いつつも、地元に根付いた視点で説得力がある。それは国の政治家は自分の保身しか考えていないし、メディアも政局にしか興味がない(としか思えない)番組作りの中で、地方の首長が本気で改革を志向し、真の意味の守旧派たる地元の領袖や、場合によっては大手マスコミと対峙する姿をみせているからだろう。本作も、SNSで名を馳せる広島の一地方で起きた政治格闘劇をありのままを見せ、いったい政治とは政治家とは何かを見た者に問いかけ続ける106分だ。自分の主張に合わないメディアを切り捨てる市長の手法は、民主主義を壊す危険性を秘めており強く危惧するところで、その意味で受け入れられた側のメディアとしての視点での作品という側面を否定しきれない。それでもスクリーンにさらけ出すことで見えてくるものがあるという点で、番組にし映画にした意義はとても高いと思う。いまの政治に諦めている人、ジャーナリズムは不要と思っている人にこそ、是非見てほしい作品だ。
――山田 健太
(専修大学ジャーナリズム学科教授、日本ペンクラブ副会長)
カメラの前の石丸伸二は、終始にこやかな笑顔を崩さない。ネット民なら、石丸が議会を「恥を知れ 」と罵倒したり、地元紙の記者を「失礼が過ぎる」と鼻であしらったりしている動画を見たことがあるだろう。映画を観る者は、こうした断片的な〝石丸像〟が大幅な修正を要求されることに、大いに戸惑うこととなるだろう。
――横田 増生
(ジャーナリスト)