広島県北部に位置し、中国⼭地にある⾃治体。北は島根県と境界を接しており、東⻄に中国⾃動⾞道が通る。広島市からは中国道を使えば⾞で1時間ほど。⽑利元就の居城・郡⼭城があり、伝統⽂化の神楽が有名。⼦どもたちは神楽とともに育ち、地元の神楽団に⼊る⼦どもも多い。Jリーグのサッカーチーム「サンフレッチェ広島」の練習場があり、普段からサンフレッチェ広島の選⼿たちが市内吉⽥町の練習場まで通っていて、ファンが練習の様⼦を⾒に本市まで訪れる。主な産業は農業。のどかな⽥畑が広がる、ゆったりとした町だが、多くの⾃治体と同様に少⼦⾼齢化が課題。
五十音順・敬称略
大いびき議員を庇う「ゼゼヒヒ」老人より、マントヒヒが議席で鼻をホジホジしている方がマシ…と妄想した途端、オキテと言ったオジさんがヒヒに見えた。「世の中をダメにするのは、青年の過失ではなく、老人の跋扈なのよ…」。樹木希林さんが晩年によく口にした言葉だ。だが、若き市長が「言うだけ番長」から抜け出す道筋も何だか見えない。本作は、無間地獄のような地方政治を丸裸にし、私たちの自画像だと突き付ける、これは地方局のレゾンデートルを体現する地道な仕事だと思った。
――阿武野 勝彦
(『オフィス むらびと』代表 / 東海テレビドキュメンタリー劇場プロデューサー)
旧態依然。前例踏襲。慣例重視。傍若無人にふるまう議員たち。既視感を覚える人が全国で続出するだろう。モンスター化した議会に毅然と立ち向かう若き市長の登場以来、深まる対立。多くの地方議会が当局に追従するなかで、二元代表制を取り戻したともいえるが、そう単純ではない。双方が態度硬化をエスカレートさせゆくさまを見つめながら、強烈に突きつけられる。議会、市長、市民、メディア。いったい誰がモンスターなのかと。
――五百旗頭 幸男
(ドキュメンタリー監督)
民主主義である限り、選ばれし市長も、それに対立する議員もすべて市民が生み出すものだ。「選ばれしものを、選んでいるのはあなた」なのだ。石丸市長が突きつけた匕首は、約1,700の地方自治体とそこに生きる我々に向けられている。
――勝浦 雅彦
(コピーライター)
“中央政界を揺るがせた汚職事件が地方に波及、ここ安芸高田市では、混乱の末、元銀行員の男が新たな市長の座につく。しかしそれは、新たな混沌の始まりに過ぎなかった...”
芥川隆行の名調子が聞こえてきそうなオープニングから面白い!(本作にはナレーションはありません、念の為)撮影した素材をそのまま見せられているような生々しい画面の連続(おそらく、あえて整理していない)を、脳内ナレーションで補いながら観るべし!
――粂田 剛
(ドキュメンタリー映像作家『なれのはて』『ベイウォーク』)
町の未来のために市政に変化を起こそうと奮闘する市長」VS「逃げ切り世代議員の思考停止」。安芸高田市で起きていることは、まさに「失われた30年」から脱出できない日本の縮図だ。フィクションよりおもしろいこの政治ドキュメンタリーが突きつけるのは、安芸高田の市民だけではなく、日本に生きるすべての国民の決断と覚悟である。
――長野 智子
(キャスター・ジャーナリスト)
全国から一躍注目を集める小さな自治体の市長と議会の鋭い対立の丁寧な描写を通じて、
前例踏襲と急進的改革、それぞれの課題を浮き彫りにしながら、「真の住民の利益」の所在を問い直す。
「賛成/反対」の表層を越え、対立の文脈と全国の地域で蔓延する普遍的な問題を考えさせる良作。
――西田 亮介
(日本大学危機管理学部教授)
選挙は「自分の常識がどれだけ世間とズレているか」を測るチャンスである。それなのに多くの人が参加しない。だから政界では「世間の非常識」が横行し、やがて「オキテ」となる。
全国から注目される政治家を生み出したのは間違いなく有権者だ。その責任は誰もが等しく負う。選挙は「ヒーロー」も「破壊者」も生み出せる、あやうい舞台である。
民主主義に完成形はない。ただし、私たちは選挙以上に合理的な方法をまだ知らない。
傍観こそ悪だ。
――畠山 理仁
(フリーランスライター)
小さな地方都市のトンデモ物語…では済まされない。
今の安芸高田市ほど地方議会が注目される機会は珍しいように感じます。
逆に、「自分のまちの政治はどうなっているのか」に目を向けるこれ以上のきっかけはないのではないでしょうか。
考える材料をお探しの方、この作品にいくらでもあります。
――春香クリスティーン
(タレント)
「自分の意見を表明するのが、議員さんの仕事ではないのですか…?」
カメラを構えた監督は震える声で、居並ぶ議員たちに問いかけた。
その声音に、彼らを糾弾しようという傲慢さはない。論破してやろうという醜さもない。
あるのは、目の前の現実と慎重に対峙しようとする意志だ。
それは映画全編を通して貫かれる。
権力を手にした市長の変貌、議員たちの滑稽さと戸惑い、市民の失望と期待。
「地方政治」を様々な視点から描き、単純化を拒むこの映画に胸が熱くなった。
――日向 史有
(映画『東京クルド』『アイアム・ア・コメディアン』監督)
市長と議会。
住民のために自治を担い、お互いがチェックし合う。
そんな関係のはずなのに、なれ合って役割を果たしていないのではないか。 掟破りの市長が誕生し、そこに一石を投じた。
この市長は非常識な政治家なのか、堕落した議会の暗部をさらす住民の味方なのか。
議員質問の形骸化、もたれ合い、根回しだけでよしとする市議たち。その実態を克明に描き出している。
――松原 文枝
(映画『ハマのドン』監督)
つぶやき市長vs議会のオキテ、ではなく、
つぶやき市長or議会のオキテ、でもない。
つぶやき市長と議会のオキテと、わたし。
地域に根差したローカル局だからこその、現場を踏んだ具体的な問題提起に、
遠くの誰もが、それぞれの場所で、立ち止まって足元を見つめ直さざるを得ない。
あなたは冷笑しますか。目を背けますか。ネタとして消費しますか。それとも…?
――宮崎 園子
(広島在住フリーランス記者)
地方発のテレビ・ドキュメンタリーが面白い。しかも本作品のように、正面から政治や法制度を扱いつつも、地元に根付いた視点で説得力がある。それは国の政治家は自分の保身しか考えていないし、メディアも政局にしか興味がない(としか思えない)番組作りの中で、地方の首長が本気で改革を志向し、真の意味の守旧派たる地元の領袖や、場合によっては大手マスコミと対峙する姿をみせているからだろう。本作も、SNSで名を馳せる広島の一地方で起きた政治格闘劇をありのままを見せ、いったい政治とは政治家とは何かを見た者に問いかけ続ける106分だ。自分の主張に合わないメディアを切り捨てる市長の手法は、民主主義を壊す危険性を秘めており強く危惧するところで、その意味で受け入れられた側のメディアとしての視点での作品という側面を否定しきれない。それでもスクリーンにさらけ出すことで見えてくるものがあるという点で、番組にし映画にした意義はとても高いと思う。いまの政治に諦めている人、ジャーナリズムは不要と思っている人にこそ、是非見てほしい作品だ。
――山田 健太
(専修大学ジャーナリズム学科教授、日本ペンクラブ副会長)
カメラの前の石丸伸二は、終始にこやかな笑顔を崩さない。ネット民なら、石丸が議会を「恥を知れ 」と罵倒したり、地元紙の記者を「失礼が過ぎる」と鼻であしらったりしている動画を見たことがあるだろう。映画を観る者は、こうした断片的な〝石丸像〟が大幅な修正を要求されることに、大いに戸惑うこととなるだろう。
――横田 増生
(ジャーナリスト)